ニュートリライトの歴史

ニュートリライト誕生物語
若き青年の夢。それが、ニュートリライトの原点

栄養失調の人々を救った釘入りスープ

ニュートリライトの創立者、カール・レンボーグ。のちに世界中の人々の健康を支える栄養補給食品を生み出す彼の物語は、1920年代初頭、乳製品メーカーの営業担当として中国に赴任したところから始まります。一刻も早く現地になじもうと北京語の読み書きを独学で覚えた彼は、生来の好奇心からこの国の哲学や薬学にも興味を持ち始めます。

そんなときに目にしたのは、肉や白米を主食とする都会の人々と、新鮮な野菜や果物を多く摂取する田舎の人々。都会の人々は健康状態が悪く、脚気などの病気に苦しむ一方、田舎の人々はより健康な生活を送っていたのです。

観察眼の鋭い彼は、植物には人間の健康を支える重要かつ未知の物質があると確信しました。この未知の物質について、彼は「関連した食物要素」と命名。果物や野菜をあまり摂取しない人はこの要素が欠乏し、不健康になってしまうと考えたのです。そこで、普段の食生活で足りないものを補給できれば、問題は解決するはずだという考えが芽生え始めました。

そんな折、1927年に蒋介石による中華革命が勃発。多くの外国人とともに収容所生活を余儀なくされた彼は、食糧不足により栄養失調に陥りました。彼は収容所の貧しい食事を補うため、木の葉や雑草、カルシウムの元となる砕いた動物の骨、さらに鉄分摂取のためにさびた鉄釘まで使ってスープを作ったのです。味はひどいものでしたが、過酷な状況下であるにも関わらず、スープを飲んだ人は体力を回復。この成果から、彼は自らの考えに自信を深めました。生涯の理念を手に入れたのです。

それまでの栄養学に革命を起こす栄養素の抽出・濃縮実験

1927年、アメリカに戻ったカール。日々の食事では摂取しきれないすべてのビタミン、ミネラル、そして「関連した食物要素」を供給するサプリメントがあれば、バランスの良い食生活を支えられる。そう考えた彼は、すぐに栄養素について研究をスタート。中国でアルファルファを食べていた牛たちのとても健康そうな姿を目撃していた彼は、「牛に良いものは人にとっても良いのでは」という仮説を立て、アルファルファをはじめとした植物の栄養素を抽出・加工する実験に明け暮れました。

実験をするにあたり、彼は3つの植物に注目しました。中国での経験から興味を持ったアルファルファ、カルシウムを豊富に含むオランダガラシ(クレソン)、そして、ミネラルの宝庫なパセリ。現在もニュートリライト製品の原料として使われているこの3つをベースに、その中に含まれるすべての栄養素を抽出・濃縮する実験を寝る間も惜しんで続けたのです。

ビタミンの存在はわかっていたものの、その知識についてはまだまだ断片的で、ポリフェノールやリコペンといった「ファイトケミカルス」は存在すら判明していない時代。彼の実験は人々には理解されず、中には本気で彼のことを変人だと思っている人がいたほどです。それでも彼は決して屈することなく、人々の健康を支えるために研究を続けました。このときはまだ誰も気付いていませんでしたが、やがて、この研究が、従来の栄養学に革命をもたらすことになるのです。

北米初の栄養補給食品の誕生と事業の開始

何度も試行錯誤を繰り返した結果、1934年、ついにカールは北米で最初の栄養補給食品の開発に成功します。カリフォルニア・ビタミン社を設立し、1939年にニュートリライト・プロダクツ社と社名を変更しました。

アルファルファの液状抽出物、植物の栄養素を含んだマルチビタミン・マルチミネラルサプリメント「Vita-6」の販売を始めた彼でしたが、栄養素に関する知識がなかった当時の人々は、サプリメントに見向きもしません。しかし、あきらめることなく販売を続けていた彼を、時代が後押しします。「米国人の食生活は健康的どころか、急増する生活習慣病の原因となっている」という事実が判明し、米国に健康ブームが訪れたのです。このブームの中で、食生活を補助する栄養補給食品は、一躍世間の注目を集めることになりました。

その後、カリフォルニア州ヘメットに100エーカー(約40.4ヘクタール)の土地を購入し、自社農場での原料植物の栽培を本格的にスタート。「本当に信じられる原料は自分でつくるしかない」という信念が実現した瞬間です。以来、徹底的に自然にこだわった質の高い製品は、米国の人々に瞬く間に浸透し、ニュートリライト・プロダクツ社は飛躍的な成長を遂げたのです。

カール・レンボーグの
遺志を継いで開発された
究極のサプリメント「トリプルX」

次々と革新的なアイデアをカタチにしてきたカールですが、ひとつだけ実現できなかったことがあります。それは、自分が究極とするサプリメントを製品化できなかったこと。ビタミン、ミネラル、脂溶性の栄養素、そして、ファイトケミカルス。それらすべてを一緒に摂れるサプリメントこそが、彼が生涯追い求め続けたものでした。そして、彼の死から23年後の1995年、彼の念願を叶えたサプリメントが誕生。それが、みなさまご存じの『トリプルX』というわけです。

カール・レンボーグってどんな人?

植物栄養素と栄養学のパイオニアとして、栄養学の世界に次々と革新的な発想をもたらしたカールですが、実は博士号を持っていませんでした。それどころか、大学も卒業していません。そのため栄養学界の異端児とも言われますが、当時、十分解明されていなかったビタミンはもちろん、最近になってようやく注目され始めたファイトケミカルスの存在まで察していたのは彼だけでした。今日までに、非常にたくさんの人が植物に根ざした食生活の大切さを理解できたのは彼のおかげと言っても過言ではありません。

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『NUTRILITE』の由来

1936年、カールがたまたま目にした科学雑誌。そこで植物に含まれる微量成分のことを「nutrilite(ニュートリライト)」と表現していたのを発見します。この言葉を気に入った彼は、すぐにその著者に連絡を入れ、本人の許可を得た上で、この「nutrilite」を社名に使い「ニュートリライト・プロダクツ社」としました。

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ファイトケミカルスとは?

植物原料にはビタミンやミネラルだけでなく、ポリフェノールやリコペンといった多様な有用成分が豊富に含まれています。こうしたオーガニック化合物は植物に色を与え、環境ストレスから守り、非常に多くの栄養を供給します。植物の持つ生き生きとした様々な色は、それぞれが異なる特徴を持つ健康の恵みを表しているのです。ニュートリライトは、この「ファイトケミカルス」を製品づくりの基本としています。